「乳がん検診を受けたらしこりがあって、注射器で細胞を取ったところ『ステージ5』といわれました。これは末期なのでしょうか」という質問を受けましたが、ステージとはがんの進行度「病期」のことで、1から4までしかありませんので、たぶん、細胞診の悪性度分類で「クラス5」だったということでしょう。
乳がんの診断ではカタカナの分類を多く使いますので、患者さんは非常に混乱します。
ここで整理しましょう。
最近はなんでもカタカナでいうようになって、私のような年代には何がなんだかわからない。製薬会社がしきりに「コンプライアンス」というので、何がいいたいのかよく聞いていると、どうも「社内倫理規定」のことで、医者に過大な報酬を与えてはだめ、食事をごちそうしてはだめ、とかいいたいらしい。どうも「経費削減」的な話です。
せめて乳がんの診断ぐらいはカタカナを使わないでほしいものです。
乳がんと確定診断されたら、主治医はまず次のことを調べます。
この3つの要素によって分類されるのが「病期」です。しこりのことをtumor、リンパ節のことをlymph node、遺隔転移のことをmetastasisといい、それぞれの頭文字などを取ってTNM分類とも呼びます。
「術前には早期乳がんといわれ安心していたのに、術後の病理結果で進行がんといわれました。どちらを信じたらいいのでしょうか」という質問を受けます。
術前の病期判定より、術後の病理診断が正しいのです。病気の経過のことを「予後」といいます。予後に影響を与える因子のことを「予後因子」といいます。予後因子にはいろいろなものがありますが、その多くは手術をしないと判明しません。
術前にわかっているのは乳がんの大きさ、脇の下のリンパ節の転移の有無、遠隔転移の有無だけです。たまたまこの3つの因子は乳がんの予後に最も大きな影響を与えるために、これらを中心に病期を決定することになりましたが、実際はかなりいいかげんなものです。
たとえば乳がんの大きさは、測る人によって誤差が生じます。しこりの大きさを2cmとするか2.1cmとするかで病期が異なります。また術前に大きいと判断したがんを術後病理検査で実際に測ってみたら小さいことや、その逆はよくあります。
次に腋窩リンパ節転移。術前に手でふれて判断しますが、実際に手術でリンパ節を取ってみないと正確なことはわからないのです。術前の診察で腋窩リンパ節転移があるといわれた患者さんの27%には転移がなく、転移がないといわれた患者さんの39%には転移があったと報告されています。
なぜそんなにいいかげんな病期分類を行うのか。
本当の予後は、手術で取ったしこりやリンパ節を病理医が総合判定する「術後の病理診断」でしか知ることはできませんと話しました。
しかし乳がんと宣告された人の多くが「私のがんは治るのか?」「私はあとどれくらい生きられるのか?」といった予後、つまり自分の未来を知ろうとします。
そこで術前の乏しい情報をもとに病期判定をしているのです。ですから術前の病期で一喜一憂せずに、あくまで参考程度にとらえ、術後の病理結果による総合判定を冷静に待ちましょう。
早期がんという言葉を聞いたときの印象は、「治療が簡単そうで、命に別状はない」ということでしょう。また進行乳がんといわれたときは、「治療が困難で、もう手遅れ」と感じることでしょう。
確かにこれまではがんが小さければ早期がん、大きければ進行がんと呼ばれてきました。
しかし非浸潤がんのように乳管の壁を突き破る力がないために、乳管の中を右往左往して、気づいたときには乳腺全体に広がっているものも早期です。またどんなに大きくてもリンパ節に転移していないような「ゆっくりがん」もあります。
その一方で、小さながんだったのに、手術してみたら脇の下のリンパ節がぐりぐりに腫れていて、手術後抗がん剤にもほとんと反応しない、たちの悪いがんということもあります。
つまり大きさだけで早期かどうかを決めるのは早計です。さらに治療法の進歩によって、これまで進行がんだったものが早期がんと呼ばれるようになるかもしれません。
白血病の腫瘍細胞には「フィラデルフィア染色体」の異常が見つかることがあります。この染色体があるとたちが悪くて致命的である、と学生時代には習いました。ところがイマチニブ(グリペック)という分子標的薬が開発されて、ほとんど治るようになったのです。そのためフィラデルフィア染色体がある白血病はたちがよいとまでいわれるようになりました。
同じように乳がんの中にはHER2というがん遺伝子をもっているタイブがあり、遠隔転移しやすくたちが悪いといわれていました。しかしトラスツズマブ(ハーセプチン)という分子標的薬ができて、65%以上の確率で治るようになりました。今後も新しい薬の開発によって、進行がんも早期がんに変わるでしょう。